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2019年12月21日 (土)

「走り出した」という楽曲を投稿しました

「走り出した」
(クリックでMP3を再生)

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走り出した
闇夜の音に遮られひた走るまま坂を下る
思い出遠くぼやけても消えない思い
風凪を待って空を駆けるから

走り出した闇の中
行くあてもないままに
自分も世界も分からなくて
どこにも居れなかった

さよなら 日々よ
ここには二度と来ない
ひとつの憂いを背負い込んだまま
この道を行くんだ

そんな僕に何ができたのだろうか
この両腕を肩に下げて
消せど消えぬ思い震わせて笑う
ほら月夜はまた照らし出すだろう

通り過ぎてく景色の中
でたらめに歌った
歌を君に聞いてほしかった
それが始まりだった

答えは今も
闇夜に溶けたままだ
それでも確かにここで生きてることを
掴まえに行こう

走り出した
闇夜の音に遮られひた走るまま坂を下る
思い出遠くぼやけても消えない思い
風凪を待って空を駆けるから
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ようやくこの楽曲を発表できます。
楽曲をインターネットに投稿し始めた頃から弾き語り放送で歌ったり、一部の方向けにデモ版のMP3を公開したりしてきましたが、今回のものが完成形になります。ようやっと巡り巡って形にできた楽曲です。公開できてよかった。

編曲は非常にシンプルなものになっています。バンドやるならこういうバンドがいいなあと思いながら作りました。物好きな方がいらっしゃったら是非演奏してみてください。キーはDメジャーです。

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らしさ

昨夜は友人と飲みにいった。再会は一年半年ぶりくらいか。仰々しく懐かしがらずスムーズに会話に入っていくのが大人の嗜みだ。

それでも「俺ってこの人の前でどんな人間だったっけかなー」と妙な不安を覚えていたのも本当だ。取り繕うという意味でなく、再会を果たす間に変わったと思える自分の領域に自信がなかったのだ。

良い悪いではなく、果たして自分は自分らしくいられているのだろうかという不安。相手から「らしくないな」と思われないかという不安がうっすらとあった。

人間、誰にだって現状の不満や将来の不安があるもんだ。それでも背筋を伸ばさせるのは、使命感や誇りといったものだろう。逆にいえばいくら金があって環境がよくて暖かな人間に囲まれていても、使命感や誇りのない人は不幸だと思うし、薄いなと、思う。

頭で考えた損得勘定で生きるのではなく、自分の心を響かせるような生き方をしている人間は、味気があって面白い。果たして自分はそういう人間になれているのか、おそらくなれていないから昨夜は「らしくないな」と思われそうで不安だったのだ。

昨夜、言葉が溢れるように出てくる感覚を覚えた瞬間があった。「ああ、今、心から言葉が出てきているな」と思った。こういう会話は面白いものだ。相手と心を照らし合わせているうちに、自分にとって大事なものが映し出される。

何をするときも、誰と話すときも心で生きていれば、必然的に自分のことが見えてくる。自分の求めている生き方というものがぼんやりと分かってくる。そういったものを追い駆けるのが、「らしさ」なんじゃないかな。

昨夜はいい夜だった。

僅かながら得た手掛かりではあるけれども、自分らしく生きてみようと思った。

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2019年12月18日 (水)

手記

毎年、この季節になると夜空を見上げては思い出す。あれは高校生の頃だ。ひとりの友人と高校生活の多くを過ごした。一緒に歌をうたって、一緒に恋の話をして、一緒にバカげた(確信のような)夢を見ていた。

彼はとなり街に住んでいたので、遊んだ帰りは国道6号線をずっとひとり自転車で走った。星空を綺麗に見るコツは目を闇に慣らすことだ。小一時間もかけて自宅に着いた時に見上げた星空は、それはそれは綺麗に見えた。それだけで、嘘みたいに今日は良い一日で終われた。

高校を卒業してからは疎遠になった。特に理由はなかったと思う。会うように生きてるなら会うし、会わないように生きてるなら会う意味もないよな、そんな風に思っていた。連絡をとったのも数年前に電話をもらったのみだ。ひどく落ち込んでいた時期だった。

「今なにしてんの?」

「何もしてないよ」

「元気?」

「元気だよ」

「なら、それでいいんだ」

おおよそ、そんな内容の会話だったと思う。今でも思い出すよ。誰かひとりでも存在を肯定してくれる人がいるなら、人はなんとか生きられるものなんだね。

久しぶりに会いたいなと思った。

それは、あの頃に戻ってはしゃぎ倒すとか、思い出話に浸るとか、近況を語り合って悦に浸るとか、そういうんじゃなくて、またふたりで遊びたいのだ。

我々の遊びは、いつだって今日が始まりだった。いつだって枕詞は「次は」だった。いつだって今日が明日に繋がるように、そんな風に遊んできた。

適当なところで乾杯して、お互い歳とったよな、苦労もあったよな、それでも頑張ってきたよな、とかそういうのは、いらない。

次はなにする、次はどうする、次はどうやって生きる?

なあ、久しぶりに会おう。この世界に何を仕掛けてやろうか、何を残してやろうか企もう。そして、叩き付けてやろう。一生を安易に賭けてやろう。

なあ、としや。

また一緒にで遊ぼうぜ。

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