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2019年11月23日 (土)

コーヒーを飲みまくって思った

カフェインは覚醒作用をもたらすが、摂り過ぎると夜に寝付けなくなってしまう。翌日、寝不足を紛らすためにまたカフェインを過剰に摂取し、その夜も寝付きが悪くなる。というのがカフェインの負のスパイラルだ。

私も以前経験したことがあり、今は極力カフェインを摂取しないよう心掛けている。

しかし、最近は疲労が溜まっているのか、無気力感が拭えず、つまらない日々が続いていた。そこでコーヒーを終日飲み続け、カフェイン効果で改善を試みることにしたのだ。

効果はてきめんであった。朝からコーヒーを飲み続け、お昼頃には頭のモヤが晴れ、疲労感がほぼ無くなっていた。体も動く、頭も思考を止めようとしない、そんな状態のまま一日を過ごすことができ「これは人生のクオリティが上がるな」と、そんな予感がした。

ただ闇雲にカフェインを摂取すればいい訳でないと気付いたのは、数日後であった。正体不明の罪悪感に苛まれたのだ。特に思い当たる出来事はないが「悪いことをした」という感覚だけがある。しばらくゆっくりしているうちにその感覚は消えたが、理由のないネガティブな感情には覚えがある。二日酔いのときだ。

二日酔いのとき、私は「死にたい」と思うことが多い。これは思考でなく感覚だ。胸のあたりでどす黒いモヤが渦巻いていて、その感覚をあえて言語化するなら「死にたい」なのだ。

アルコールの場合は「死にたい」だがカフェインの場合は「悪いことをした」という感覚がもたらされるのか、そんなことを思った。

以前、私がカフェインをよく摂取していた頃、私は繊細な人間であった。他人に嫌な思いをさせたくないという気持ちがとても強く、自分と接した他人の感情に対し異常なほどナイーブになっていたのだ。

他人とのコミュニケーションの中でひとつでも不快感を与えるような言動をしてしまったものなら、その場面を繰り返し思い返しては、ああするべきだったかこうするべきだったかと悩み続けることが多くあった。

このようなしみったれた慣習も「悪いことをした」と思わせるカフェインの影響があったのかも知れない。

何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」なのである。カフェインの覚醒作用は有効で日々のパフォーマンスを上げることはできるが、ほどほどでなくては返って逆効果になってしまう。

私はカフェインやアルコールがなければ社会や世間は今ほど活性化していないと思っている。カフェインが仕事の効率を上げ、アルコールがコミュニケーションを潤滑にしてきたお陰で今の社会があると信じている。

だからこそ、カフェインやアルコールとうまく付き合っていかなくてはならない。カフェインやアルコールを過剰に摂取して「悪いことをした」とか「死にたい」とか考える時間ははっきり言って無駄だ。

何故なら薬物由来の感情は実体験を伴っていないため、いくら思考を重ねた結果だとしても、その判断や行動は現実世界においてはあらぬ方向になってしまうからだ。そのことを自覚して、よい距離感でカフェインを利用しないとな、と思った。

ちなみに、コーヒーは曇り空の日が美味しい。

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