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2019年11月13日 (水)

不幸の味

幸せになれと言われたら、そうなるのは非常に難しいけど、不幸になれと言われれば簡単になれる気がする。

これが、なんか変だなと思う。

幸せも不幸も違うベクトルではあるものの、絶対値として考えれば同様の結果を出すためには同様の力量でこと足りるはずだからだ。

ともすれば、不幸になることの方が簡単なのは、人間の基準点が不幸の側にかなり寄っているか、幸せの方向に抵抗がかかっているか、はたまたその両方なのかという話になる。

結論めいたことを言えば、人間のベースは不幸なのだ。いや、もしかしたら現存する生物の殆どがそうなのかも知れない。

例えば、カンブリア紀に「生きてるだけで幸せだなんて本当に幸せなことだなぁ」なんて呑気に過ごしていた生物はアノマロカリスに駆逐されてしまったことであろう。氷河期なら餌も探しに行かずその場で飢え死んだかも知れない。

ともかく、食物連鎖や自然淘汰の成れの果てに生きる我々現存生物は、危機管理能力が非常に高く、損得勘定が極めて得意であり、それ故に生命体としてのベースは不幸なのだと思う。

では、どうすれば幸せに生きることができるのか、と言えば、まずはこの事実を受け入れなくてはいけない。

そこから先は知らない。人それぞれだと思うし。でも、まずは「私は生まれながら幸せになり難い特性を遺伝子レベルで持っている」と自認しなくてはいけないと思う。出発点が違っていたら、辿り着けるところにも辿り着けないと思うし。

 

それに、

 

大丈夫、君だけじゃないから。
大丈夫、私だけじゃないし。


と思えば少し気持ちが落ち着く、そんな特性も人間にはあるのだ。

 

 

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