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2016年1月21日 (木)

楽器の練習をしている

今まで、あまり楽器の練習をしてこなかった。


公開している楽曲を聴いていただけば分かるとおり、楽器の演奏は得意ではない。というか苦手だ。

昔、アマチュアバンドで活動していた頃は、ステージに立つ手前、練習をしていたけど、バンドをやめて個人的に音源を発表するだけになった頃から、もう殆ど練習をしなくなった。

もちろん、楽曲の録音をするときは一時的にフレージングを自分なりに追い込みはするけど、それ自体が演奏技術の土台になり得るかというと、体感としてはなっていないので、練習とはいえないし、全く楽器が嫌いな訳ではないので、気ままに楽器を鳴らすことはあっても、当然にこれも練習とはいえない。

そもそも、何故こんなにのらりくらりとしたかと言えば、楽器ができない劣等感もあったし、思春期を過ぎたころから「結局、才能のないやつは何をやっても無駄じゃないか」と考えるようになったことに由来する。

足の遅い人間が短距離選手を、頭の良くない人間が学者を、不器用な人間が技術者を目指すものか。競馬の世界だってサラブレットだなんだで、血筋で先天的な才能を持つものと持たぬものの力関係が如実じゃないか。
そもそも、進化というのは淘汰の繰り返しなわけで、そういった世界に生まれた以上、才能に抗うのは無駄だ。滑稽だ。徒労だ。


こんな風に考えていた。


もともと、楽器の演奏技術に対する劣等感はかなり強烈なものであり、できないことに対する自己嫌悪から、才能だなんだと騒ぎ立てた挙句に、いつしか匙を投げてしまったわけだ。

そんなこんなで、のらりくらりとやり過ごしているうちに、いつの間にか「諦めた人間」になっていた。
諦めた人間の日々は、色褪せてて、ふにゃふにゃしてて、概して面白いものではない。


そう、全然面白くないのだ。生きているという感じがしない。命があるだけだ。


それに気付いてしまった。

才能がどうのではなく、今の自分を超えて行きたいという命の欲求を、もしかしたら人間は進化の過程で手に入れたのかも知れない。


諦めの境地でそういう声が聞こえた気がした。
いや、最初から諦めていなかったのかも?
そもそも、人間は諦めることが本当にできるのか?


別に楽器でなくても、やりたい何かに近づくために頑張れればそれでよかった。


ただ、靄のように掴みどころのない決意だけども、とりあえず、楽器の練習しようと思う。


誰かの才能にではなく、今の自分に抗うのだ。

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