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2014年1月27日 (月)

フルマラソンを走った話

先日、マラソン大会に出場しました。フルマラソンを走るのは、生まれて初めてです。

私のTwitterアカウント(@asekaku3)をフォローしてくださっている方はご存知かと思いますが、実は1年ほど前からランニングに取組んでいます。
ランニングを始めたきっかけは「ダイエット」なのですが、走り始めてしばらくする頃にはぼんやりと「マラソン大会に出たい」と思うようになり、「フルマラソン完走」をひとつ目標に据えたことが、今回、フルマラソンを走ることになった経緯です。
結果から言うと、本来の目標であった「ダイエット」には失敗したものの、2次的な目標である「フルマラソン完走」は4時間57分(ネットタイム4時間47分)を掛け、何とか達成することができました。

今回は、大会当日のことを時系列的に書きたいと思います。

大会当日、会場に到着したのは午前9時頃。天気は快晴。会場のグラウンドを埋め尽くす沢山の人。その人々が踏み付け立ち上がる芝生の匂いが懐かしい。そういえば、スポーツの大会に出場するのは、本当に久しぶりだ。それ故に不安だ。自らが身体を動かすイベントで「達成する」という感覚を確実に忘れている。「完走できるだろうか、どうか」そればっかり考えていた。実は、練習でも42.195kmを走り切ったことは、ない。むしろ、最長ロングランは、20kmにも満たなかったりする。不安しかない。

ストレッチをしたり、着替えたり、荷物を預ける手続きをしてる間に午前10時、スタートの30分前になってしまった。蛇腹を巻いたような長蛇の列に並んで用を足し終えた頃には、スタートの数分前。自分のスタートポイント付近に辿り着くや間もなくスタートの合図が鳴る。と、同時に湧き起こる拍手。放たれる紙吹雪。きりっと青い1月の空に、日に照らされた紙吹雪がキラキラと舞う様は綺麗だ。友人と談笑するランナー達。沿道の人たちも笑顔で声援を送ってくれる。実にピースフル。夢みたい。満ち溢れるポジティブな空気。この時ばかりは完走に対する不安が払拭されていた。しかし、42.195kmを走りきり、再びこの場所に戻ってきたとき私は思うのだった。「人生で一番キツかった」と。

マラソンでやってはいけない過ちのひとつとして「自分のペースを乱す」ということがあると、インターネットで調べた情報の中にあった。その重要性については素人ながら重々承知していたつもりではあったが、認識が甘かった。やってしまった。元来、私は人を走り抜くのが好きなのだ。自動車や自転車を運転しているときはそうでも無いのだけど、こと走りになると無性に人を抜きたくなる。スタートして間もなく、並走している人が沢山いることをいいことに、抜きに抜きまくった。
本来の予定では、1kmあたりを7分くらいで走る予定だったが、このときは1kmあたり6分くらいのペースで走った。ある区間では1kmあたり5分代にもなっていた。

これは、実力が伴っていない明らかなオーバーペースなのだが、マラソン大会特有の雰囲気に浮かれていた私は、このペースで20km地点付近まで走ってしまった。「あれ?今日は調子良いかも!」などと、どうしようもない誤解を自信と履き違えながら。

様子が変わってきたのは、おおよそ25km地点を超えたあたりだった。足の裏に血が溜まるような、ふくらはぎが重くなったような、そんな感覚が脚に付きまとってきた。しかし、あと5kmも走れば30km地点だ。つまり、ゴールまで12.195kmのところまで行ける。それぐらいの距離は、普段練習で走ってるような距離だ。大丈夫だ。問題ない。

問題ない訳なかった。

30km地点を通り過ぎる頃には、脚が痛い、重い、動かない。「30kmの壁」とか「マラソンは30kmからが勝負」とか言うのはネットで調べて知っていた。しかし、まさかここまでキツいとは。
この辺りまで来ると歩く頻度が格段に増えた。むしろ歩くこともおぼつかない状況だった。傍からその姿を見れば、歩くというより、足を前に出して、後ろに引いてを機械的に繰り返しているような、不自然な様だったと思う。 「30kmの壁」は、まさに「ネットで得た知識だけで知ったつもりになるな」という教訓の典型だ。文字から得た知識と、自分の身体を経て得た知識とでは全く違う。経験と実感こそが、自分の指針となって然るべきだ。こんなに辛い思いをするならもうちょっと考えて走ったのに。

あまりにも身体がいうことを聞かず、もはや、気合でどうこうなるところを過ぎてしまったような気さえした。でも、自分の体を動かすのは気合しかない。腕を振ればまだ体はなんとか前に動く。

「なんとか、進める」

「がんばれ」という言葉にどれ程のエネルギーが込められ、それを受け取った人がどれ程の効率を発揮するかは、おそらく科学的に立証することは難しいのではないだろうか。それこそ、科学が不可侵な領域だと思う。

35km地点を超えて私の身体を動かしていたのは、人々の声援だった。

「あと7kmだ。ここでやめたら勿体ないよ!」

「あと5km!もうちょっとだ!がんばれ!」

「良いペース!良いペース!このペースを崩さないで行こう!」

他にも、沿道でお菓子をくれる子供たち。ハイタッチしてくれた着ぐるみさん。暖かい飲み物を振る舞ってくれた方々やボランティアスタッフの皆さんの声援が、自分の足を前に進める原動力になった。

一番印象に残っているのは、買い物に来ただけであろうおばさんが、牛丼屋の駐車場に車を停め降りてきた時、私たちの姿を見て「がんばれ」と言った後、手を三回ほど叩き鼓舞してくれたときのことだ。そのうそ偽りのない「がんばれ」は胸を打つものがあった。その視線からは「お前ならゴールできる」という確信にも似たエールが感じられた。たった今、初めて顔を合わせたばかりの他人同士だというのに。

と、その瞬間に今までの様々な記憶が一気に溢れ返ってきた。

「ダイエットをしよう」と思い立ち、近所の河原道を恐る恐る走りに行った日のこと。
汗を滝のように流しては熱中症になりかけながら走った日のこと。
急な雨に打たれながら急いで家路を辿って走った日のこと。
真っ暗な夜道にビビりながらも綺麗な星空を見上げながら走った日のこと。

言ってしまえば、ランニングなんて孤独なもんだ。たまに友達と走る機会はあったけれど、基本的には、誰に褒められるでもなく、称えられるでもなく、応援されるでもなく、1年近くひとりで走ってきた。

それが、今はどうだろうか。自分の1歩を後ろから押してくれる人たちがいる。見返りのない「がんばれ」を心から掛けてくれる人がいる。それを実感した瞬間、ぼろぼろと涙が零れて来てしまった。今まで流したことのない類の涙だった。

それからしばらくは、涙目を見られるのが恥ずかしくて、沿道の人の声援に笑顔で返すことはできなかった。相変わらず脚は動かないし、息は上がるし、バテバテで辛かったけど、スタート直前にも増して「絶対にゴールする」という意思は固まっていた。
ゴール地点までの最後のカーブを曲がった瞬間、誰かが「このまま行けば5時間切れるよ!」と大きく声を掛けてくれた。正直、今回の大会の目標は「完走」だったのでフルマラソンを5時間切れるとは思っていなかった。 「ここで頑張らなかったらいつ頑張るんだ?」自分に問いかけても答えは出なかった。だから、頑張るしかなかった。絶対に5時間を切ろうと思った。

自分の身体を動かしていたのは何だったろうか。声援だろうか。それともグリコーゲンだろうか。分からないけど、なんとか身体は動いた。ゴール地点が見えたときも何も考えることができなかった。ゴール地点を超えたときには「4:57」の文字が見えた。タイムは5時間を切れて嬉しかったのだけれど、本音を言えばこれ以上走らなくて済むという安堵の方が大きかった。「人生で一番キツかった」とさえ思えた。身体はガタガタで、ゴール直後に駆けつけてくれたスタッフにもこの時は「どーも」と言うだけで精一杯だった。

人生初めてのフルマラソンを完走した喜びが溢れてきたのは、家に帰ってビールを飲んでいる頃だった。正直、走っているときは「もう二度とマラソンなんて参加しない」と思っていた。しかし、記録証を眺めながら一息ついているうちに「あそこはああすればよかった、ここはこうすればよかった」などと反省点が沢山出てきた。それと一緒に「ああ、フルマラソンを走り切ったのは幻じゃなかったんだな」という実感がふつふつと湧いてきた。その喜びに高揚し、その晩はいつもより饒舌に家族と話をした。

今までの人生で、自分が目標を定めて、それに向けて努力し、達成するということは、あまりなかったので、今回の「達成」は自分の中でちょっとした快挙でもあった。
このマラソン大会を通じて「私は私に勝つ」ことができた。これ以上に、自分が自分を信じられる要因ってあるかな、と思う。少なくとも42.195kmを自力で移動したというのは、ちょっとした誇りだ。嬉しい。
これから、ダメになりそうになったときは、「ダメだ」と思いながらも走った残りの12.195kmを思い出すことができる、沿道のおばちゃんの応援を思い出すことができる、自分に「よくやった」と言えた自分を思い出すことができる。

それだけで、取ってあり余る収穫だ。この感動を、しっかりと次に繋げていきたい。できれば次は、サブ4を達成したい。。。

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