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2010年12月30日 (木)

だんだんつまらなくなっていきたくない

「出来る事なら、何にでもなりたいし、出来る事なら何でもしたい。」

こういう風に思うのは酔っぱらった時。特に夜だったりする。
い~っつも思う。常時、皆が酔っぱらいだったら、どんなに世界は幸せだろうと。

しかし、「駅員に対する暴力が一番増えるのは年末」というデータを見ると、
全然、幸せには程遠そうだと思ったりもする。

「感性」
というものに関して、考える時がある。

今日、以前に買った中原中也の詩集を何となく眺めていた。
しかし、何も響いて来ない。何も感じない。自分にがっかりした。
ちょっと前までは、単語のチョイスや、言い回しに一喜一憂していたのに…。

こういう「詩的な感性」を取り戻したい気持ちは山々だけど、
結論からいえば中原中也の本質をまだまだ理解できてないだけかも知れない。

同じように、「音楽的感性」についても思うものがある。
「俺は近所のガキを騙してロックやってんだ!」って台詞を誰が言ったかは忘れたが、
若い頃ってのは、カタルシスを感じる音楽に魅せられることが多い。

もちろん、私も例外ではない。
「発散」こそが音楽に求めるものの90%を占めていた。
それは逆に言うと、他の音楽は受け入れがたい要因にもなっていた。

別に全く悪いことではないと思う。
THE BACK HORNは「週刊少年ジャンプ」のような音楽をやりたいと言っていた。
そういう音楽に「隠し続けてる本音」が刺激されるのも、また事実だし、
そして、自分がやりたいこともそういう事だったりする。

しかし、なんだ。そういうのを聴く時に、一歩引いて聴いてしまう訳。最近は。
昔みたいにのめり込む事は少なくなった。感動も少なくなった。

「何に感動するのか」ということは時期によって、年齢によって違う。
今の自分は、「ときめき」が感動の大部分を占める。
「ときめき」ってのは「初めて」のときに感じることが多い。

歳を重ねれば、「初めて」が減っていくのは当然だ。
そうなると、「ときめき」って感覚がだんだん麻痺してくる。

だからこそ、歳を重ねるほどに「挑戦」ってのが大事なんかなと、思ったり。

俺は、「作品」を観たり、聴いたり、読んだりするのが好きなので、
もっと楽しく作品と触れあえるように、来年は色んなことに挑戦したいと思う。

ちなみに、こういった受け手の感性、捉え方の垣根を越えて、
「受け手がどう受け取るか」までを操る事ができる人が「やり手」なんだよな。
こればっかりは、今の私では未熟すぎるので、今後の課題にしたい。

というわけで、皆様が素敵な年越しを迎えられる事を願いつつ…


これにて〆

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